修練館道場長-渋谷力の思い

だいぶ前、心の問答に関する道歌「心こそ心まよわす心なれ、心に心心ゆるすな」を見聞したことがあります。それについて書き留めてみたいと思います。

最近、平成29年月刊武道4月号 大保木輝雄 剣道✦その歴史と技法✦ に以下の記事を見つけました。

「心こそ心まよわす心なれ、心に心心ゆるすな」(鎌倉幕府第5代 北条時頼の作とされている)、と言う道歌には、「後天的に身についた我欲である“妄心(無理)を断ち切れば、人間が本来備えている生命力である”本心“(道理)が発揮できる」という意味が込められている。この道歌は後世、禅僧沢庵によって、新陰流の柳生宗矩に伝えられ、「兵法家伝書」の剣術心法論テーマとなり、その後の剣術に大きな影響を与え現在に至っている、とあります。

 

「兵法家伝書」「渡辺誠・偏訳」(P.179)には、次の様に表現されています。

☆自覚のすすめ--― 心こそ、心迷わす (訳文)

心こそ(①)、心まよわす(②)、心なれ(③)、心に(④)心(⑤)、心ゆるすな(⑥)。こんな歌がある。「心」という字が六つあるが、①③④は「妄心」、②⑤⑥は「本心」のことだ。
同じく「心」であっても、この二つの心に分けられるのである。
本心のままに物事を為せば、どんなことでも、真っ直ぐ仕遂げられる。それが妄心に覆われると、物事はねじまがり、汚れてしまうのだ。
こうはいっても、本心と妄心とは、黒と白というふうに、別々に並んで存在するものではない。
本心とは、禅でいう「本来の面目」、すなわち、本来の自己、真実ありのままの心のことである。それは、われわれが生まれる前に、すでに、われわれ人間に具わっている。それは姿かたちのないものだから、そもそも、生じるものでも、滅するものでもない。本心は無形のものであって、生まれながらに皆が具有しているものである。
禅は、この本来の面目、本心を悟る宗教と受け取ることができる、とあります。

 

【難しい命題ですね。しかし、前に記述した「剣は心なり」と同様、常に「真の心」、「正しい心」、「生命力である本心」を考えよ!との教えであると思います。】

平成29年文月
梅雨明け

習錬館の渋谷師範


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