修練館道場長-渋谷力の思い

今回は、前回紹介した「啐啄」と同じような言葉に「瀉瓶」があります。
「あすへの話題」「瀉瓶 和田亮介」(和田哲社長)1997.5.15付の切取り記事があったのでこれを紹介します。以下、その内容です。

「仏教に瀉瓶(しゃびょう)という用語がある。瓶に入った水(師の教え)を、別の瓶(弟子の瓶)へ注ぎ移す。私の師、故宮本又次郎先生は、この言葉を好まれ、商業史や経営史のパラダイム(枠組み)を、先の世代まで何としても伝えたいと、繰返し繰返し教え込まれた・・・・・」おだやかに話されるのは、宮本先生の瀉瓶の弟子、作道洋太郎阪大名誉教授。
そして宮本先生が亡くなられた時「先生の学問には。瀉瓶の学統がある」と弔辞を捧げたのが。亡き司馬遼太郎氏だったという。

瀉瓶はしかし、移しかえるといっても「無条件に」という条件がつくのである。
世に言う、いいとこ取りは、瀉瓶とは言わない。この伝授の仕方は、何も学問の道だけのことではない。芸の道にもそのまま通ずる。

親しい筝曲家富永澄子さんが主宰する“寿三の会”の会報に、このことを書いた。それを目にした中井猛氏(地唄、筝曲研究家)から、瀉瓶はかねて自分の考える邦楽の伝承と全く同じ、是非その出典が知りたいと言ってきた。

「一器の水を他の器に移すが如く、仏の教法を伝持して、異解をなさざるをいう。北本涅槃経(ほくほんねはんきょう)、巻四十に・・・・・・」と出所を明らかにしてくれたのは、眼の病に霊験あらたかと知られる一畑薬師(島根県平田市)飯塚幸謙館長(私の義弟)である。

白を黒、鷺を烏(からす)と言われても、師の言をそのまま受け入れた時代が実在した。そして、受け入れたのち、その中から新しい真実を生み出したのである。かつて船場の丁稚(でっち)奉公は、その好例といえるかもしれない。

そして、「師との遭遇」「選択 1990.No.3 視点」では以下が記載されている。

瀉瓶(しゃびょう) 

 瀉は、そそぐと読むから瓶の中身をことごとくそそぎうつすことである。師が弟子に対して、その見解、その技法、その見識をあますところなく、うつして伝えてやることを意味する。そこに師たる者の人間的影響力が加わることはもちろんだ。かつての学問、教育はこうしてなされた。
 事業家然り、政治家然り、芸術家また然りである。教える者、教えられる者との魂が触れあって閃光を発するような激しさ・・・・・。(文の終わりかた不思議であること、作者名の控えがメモになく中途半端で申し訳ない。)

「啐啄」も「瀉瓶」もとてもいい内容で好きです。
いつもこれら考えながら生きています。皆さんも感じて頂ければ光栄です。

平成30年 文月
土用の丑の頃



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