修練館道場長-渋谷力の思い

スクラップ・ブックを整理していたら、日本経済新聞 「明日への話題」 9月11日付(平成14年頃? メモ書きが正確でないので不明)、
彫刻家 船越保武」氏の記事の切り抜を見つけた。佐藤忠良と共に、日本の戦後の彫刻界を牽引した大家である。作品を少ししか見ていないが、今後、勉強させて頂くことにする。その記事がとても良いと思うので、全文を紹介する。

 

『美 人』

「美人」と「美しい人」とは別なものだ。美人というのは、顔かたちが整っているだけで、その人のせいではない。両親が作ったものだ。
美しい人、というのは顔かたちではない。心の美しさが顔に現われる人のことだ。
言葉の意味からは、美人と美しい人とは同じことに思われるが、実は、まるで別のものだ。これは区別しなければならない。
美人でも、ちっとも美しくない人もいるのだ。美人とはどういう顔をいうのか。
美人とは、ただ、形の寸法がある条件の比例に近いというだけのことで、つまらないといへば、これほどつまらないことはない。
寸法に条件というのも、実は甚だあやしい観念的なものだ。
これが美人の典型です、という顔があったならば、それは何とも無味乾燥、さらに無気味なものにちがいない。幽霊の顔みたいなものだろう。
「美しい人」というのは、その人の心が源となって、心の美しさが、微妙に顔に現われるのだから、見る人の心を快くひきつけるのだ。
さきに言った典型と食いちがっていても、心の動きが、微妙な調和を作り出すとき、これこそ、「美しい人」なのだ。
写真には、その微妙な動きが写し出せないから、つまらない顔に見えても、本人に会って見ると、まるで別人のように、美しい人に思えることが多い。プロの写真家の中には、瞬間の写真の中に、時間による心の動きの変化まで捕える才能を持つ人もいる。
美人と評判の高い、ある夫人に、「あなたは美人だなあ」といったら、その人は即座に、「あら、私は美人じゃないですよ。だから表情でカバーしているのよ」と答えた。美事な言葉だ。
美人は整形手術でも作れる。だが「美しい人」は、その人の心が作るのだ。

 

氏の作品を見ると、真に「美しい人」、心の造形の連続である。作品に有名な「たつこ像」等がある。心の有り様は、我々の日常の生活は勿論、武道の修行おいても、人格・品格を高め、そして【限りない技の美しさ】を表現する大切な要素であると思う。

平成29年 葉月
処暑の頃

習錬館の渋谷師範

 


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