修練館道場長-渋谷力の思い

前回は、「持田盛二遺訓」をご紹介しました。
(※前回:【渋谷力の思い】古希に近い年になり思うこと)

今般は、幕末・明治・昭和を生きた「門奈 正」大日本武徳会本部教授について、紹介しておきたいと思います。

精神を以て本と為し、技術を末と為す

私が、
大変驚き興味を抱いたのは、門奈正範士が、剣法を講じるときに使う
精神を以て本と為し、技術を末と為す」との言葉でした。

以下の資料は、堂本昭彦著 「明治撃剣家」 「春風館立ち切り誓願」 徳間文庫 2001年6月15日 初版から抜粋したものです。

「技の門奈、気の内藤」、といわれた。大日本武徳会本部教授の双璧を評したことばである。内藤とは内藤高治のことである。
門奈正は安政二年(1855)、水戸に生まれた。代々、付家老として藩庁に出仕した家柄で、正は八人兄弟の四番目であった。幕末の動乱期で、父と長兄を失っており、次兄と正は元服前にため切腹をまぬがれたが、親戚矢田家にひきとられ、元治元年九歳から明治元年十三歳までの約五年間、矢田家の座敷牢に幽閉された、過酷な幼年期を経験している。しかし、明治撃剣時代の多くの高名な人たちに巡り合い、己に厳しくして稽古に邁進し、人生も清貧にして品・格の素晴らしかったことに私は感動を覚える。
大正十年五月、第二十五回大日本武徳祭大演武会で、双璧とされた両者が試合することになった。 ・・・・・中略・・・・・・、内藤がいま、遠い間合をまっしぐらに突きすすんできた。振りかぶって、面。その前に内藤の小手を、びしっ、と門奈正が打っている。
『増補改訂大日本剣道史』(堀正平)を見ると、門奈正の項に「試合は六十歳を越してから益々好調で、高野(佐三郎)、内藤両範士より大いに優れて居た。六十五歳位が盛りだったと思う。門奈範士が、毎夜剣道の夢を見ないようでは駄目だ、と言ったのは其の頃の事である」 とある。この試合のあとさきである。

【感想:年齢を重ねてから本当の修行!】

「技の門奈」、といわれたかれが、南禅寺境内真乗院の碑文にあるように「精神を以て本と為し、技術を末と為す」として剣法を講じたことは、誠に興味深い、とある。(1855年~1929年)

【感想:正にその通り、至言である!】

平成29年6月吉日
梅雨の晴れ間に

習錬館の渋谷師範


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